聖ドミンゴの教会から始まった青い伝統
リヴァプール市内の聖ドミンゴ教会クリケットクラブのメンバーが、冬のトレーニング目的でフットボールチームを立ち上げたのは1878年のことだった。翌年、地域社会全体を受け入れる組織へ発展させるため、クラブ名はエヴァートンFCへと変更された。1888年、イングランド全土を統括する世界最古のプロリーグ「フットボールリーグ」が創設された際、創立12クラブの中にエヴァートンの名が含まれていたことは歴史的な事実である。
現在のホームスタジアムであるグディソン・パークへ本拠地を移す前、クラブはアンフィールドを本拠地としていた。しかし、土地所有者であったジョン・ホールディングとの賃料引き上げを巡る意見対立が決定打となり、エヴァートンは1892年にアンフィールドを去る決断を下した。残されたホールディングが新たに設立したクラブこそがリヴァプールFCであり、マージーサイド・ダービーの根源はスタジアムの所有問題に端を発している。グディソン・パークへ移転したエヴァートンは、英国初の目的別フットボール専用スタジアムとして整備を進め、イングランドサッカー界の草分け的存在としての地位を確立していった。
永久不滅の金字塔 ディキシー・ディーンの記録
エヴァートンの長い歴史において、最も強烈な光を放つ存在として語り継がれるのが、ストライカーのディキシー・ディーンである。1925年にトレンメア・ローヴァーズから加入したディーンは、力強いヘディングと圧倒的なシュートセンスを武器に、ゴールを積み重ねた。
特に1927-28シーズンにおける彼の活躍は、現代のフットボール界においても破られていない伝説として輝いている。ディーンはこのシーズン、リーグ戦わずか39試合の出場で60ゴールという途方つもない記録を打ち立てた。最終節のアーセナル戦で達成されたハットトリックにより、それまでの最多記録であったジョージ・キャムセル(ミドルズブラ)の59ゴールを塗り替えた。彼の大爆発によってエヴァートンは通算3度目のリーグタイトルを獲得し、ディーン自身もクラブ史上最高のレジェンドとしての地位を確固たるものにした。通算383ゴールというクラブ最高得点記録は、今なお後続の追随を許していない。
ケンドール時代が手繰り寄せた欧州と国内の頂点
クラブの歴史において最も成功を収めた時代として記憶されているのが、1980年代中盤のハワード・ケンドール監督率いるチームである。元選手としてエヴァートンの中盤を支えたケンドールは、1981年に監督へ就任したものの、当初は結果が出ずに厳しい批判に晒されていた。
風向きが劇的に変化したのは1983-84シーズンの後半だった。リーグカップでの粘り強い戦いを経てチームは自信を取り戻し、同シーズンのFAカップ決勝でワトフォードを2-0で下してタイトルを獲得した。この勝利が呼び水となり、翌1984-85シーズンにエヴァートンは圧倒的な強さを誇ることになる。
キャプテンのケビン・ラトクリフが統率するディフェンスラインと、最後尾に君臨する名GKネヴィル・サウスオールを中心とした守備陣は堅牢を誇り、中盤ではピーター・リードとポール・ブライスウェルがゲームを支配した。1984-85シーズンのリーグ戦を圧倒的な成績で制したクラブは、欧州カップウィナーズカップ決勝でもラピド・ウィーンを3-1で退け、クラブ史上初となる欧州タイトルを掲げた。さらに1986-87シーズンにも再びフォワードのトレヴァー・スティーヴンらの活躍でリーグ優勝を果たし、名実ともに英国内最高のクラブとして君臨した。
グディソン・パークに別れを告げ、臨海地区の未来へ
1892年の開場以来、130年以上にわたって数々の名勝負を見守ってきたグディソン・パークは、イングランドフットボールの生きた博物館とも称される。無数のファンが木製の座席を踏み鳴らし、幾多の熱戦に一喜一憂してきた歴史は、クラブのアイデンティティそのものである。
現在、エヴァートンはマージー川沿いのブレムリー・ムーア・ドックにて新スタジアムの建設を進めている。時代の変化に伴うスタジアム近代化と収益基盤の改善は、現代フットボール界を生き抜くために不可欠な変革である。歴史あるグディソン・パークへの惜別とともに、最新鋭の施設へ移転することは、激動の時代において再びトップレベルへ返り咲くための重要なステップとなる。過酷な降格争いや経営陣の刷新など近年の困難を乗り越え、デヴィッド・モイーズ監督率いる青いユニフォームを纏ったクラブは、新たな本拠地とともに次なる一歩を踏み出そうとしている。